amiさんのモノと私のstory〜食器編〜
feminimalistサイトでは、素敵な暮らしをされている方をご紹介させて頂いております。
関西在住で3人の子供(中高生)たちと暮らすamiさんは、遺品整理をきっかけにたくさんの物を手放されました。
「どんなに持っていてもモノは持っては逝けない。これが、私のモノを捨てる基準になっています」
と今回は、すごく好きなモノの手放し方について伺いました。amiさんは、大の食器好きで、大量にあった高級食器を手放されたそうです。
まず、本当に好きなモノへの思いをお話して下さいました。
好きなモノとの決別 ~収集編~
食器好きな私は、いわゆるブランド食器から和食器まで、値段も安価な物から高価な物まで幅広く持っていました。旅先で出会った物から少しずつ集めた食器まで、それはそれは本当にたくさんありました。
目的や用途も考えず、気がつけば入りきらなくなる食器棚には、食器だけでなく思いまで溢れ出ていました。
たくさんある食器の行方ですが、今はその半分もありません。
溢れ出していた思いとは、簡単に言うと罪悪感です。
使いきれないのに買ってしまい、お金をムダにしてしまったという罪の意識。
溢れる食器は、2軍落ちです。それなのにまだ食器を買い続けていました。
高級食器を買い漁る日々
高級食器ヘレンドといえばウィーンの薔薇ですが、私はヴィクトリアブーケが大好きです。花、蝶々などの絵柄の繊細さと可憐さに魅了され、一瞬で虜になりました。
ひとつ、ひとつ職人の手書きということもあり、幾度と無く清水の舞台から飛び降りる結果になりました。
貴族への憧れから、全て揃える予定が、不本意ながら、その夢は叶いませんでした。
今思うと、結果的にはそれで良かったと思います。
しかも、私の独特な買い方で、お皿なら6枚1セット、グラスも10個単位。
食器棚に収まらなくなるのは当然のこと。
何かに取り憑かれたように、食器をたくさん揃えておりました。
幸せな妄想時間
主人が亡くなる少し前、あるアンティークショップに立ち寄ると、一目で心を鷲掴みにされたキャビネットがありました。
猫脚のカーブが繊細で、側面ガラスから光が差すとすごく美しくて、棚板にはお皿をたてる溝が彫られていて、ティーセットなど飾るのに最適なのです。
何を飾ろうか、想像しただけで高揚感に溢れます。
過去を振り返ると、この時の妄想は自分を楽しませてくれるものでした。
まさか、私が食器を手放すなんて夢にも思いませんでしたが、そのまさかは現実のもとなりました。
少しずつ集めてきたお気に入りの食器たち、頂いた食器たち。
なぜ、こんなに大好きなものを、手放そうと思ったのか、どうやって手放したのか。
こちらは、次のモノとの決別編に続きます。
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